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We Can Do It! : ウィキペディア日本語版
We Can Do It!

"We Can Do It!" とは、戦時中のアメリカ合衆国プロパガンダに使われたポスター・イメージのことである。J・ハワード・ミラーが1942年にウェスティングハウス・エレクトリックの依頼を受けて製作したもので、労働者を鼓舞して勤労意欲を高めることを目的としていた。このポスターは一般に通信社がミシガン州の工場労働者を撮影したモノクロ写真がもとになっていると考えられており、被写体となったその女性の名はジェラルディーン・ホフという。
第二次世界大戦中にこのポスターが人目に触れる機会はほとんど無かった。それが1980年代の初めに再発見され、様々な形で広く再生産された。しばしば「We Can Do It!」と呼ばれたこのデザインは、軍需工場の労働者の力強い、しかし女性的な姿のアイコンとなってからは「ロージー・ザ・リベッター」とも呼ばれた。そして「We Can Do It!」のイメージは1980年代に始まるフェミニズムなどの政治的問題を唱道するために利用されていった。1984年には「スミソニアン・マガジン」の表紙を飾り、1999年のアメリカでは普通郵便の切手のデザインにも採用された。さらに2008年の選挙戦では、サラ・ペイリンロン・ポールヒラリー・クリントンといった政治家までこのイメージをキャンペーンの道具として利用するのである〔。
今日ではこのポスター・イメージが戦争を呼びかけ、女性労働者を駆り立てるものとしてだけ利用されたという考えがしばしば議論の前提となっている。しかし戦争中、このポスターはウェスティングハウスの内部に向けてのみ展示されたのであり、掲載も1943年2月の間だけだった。そしてそもそも募集広告ではなく、すでに雇用された女性にさらなる労働を説くものとして使われたのだ〔。フェミニストを始めとして多くの人々がこの啓発的な姿やメッセージに飛びつき、イメージを様々な形に改変し、自己実現や勧誘、扇動、広告、パロディなどに使用した。
==背景==
1942年、ピッツバーグのアーティストであるJ・ハワード・ミラーはウェスティングハウス・エレクトリックの軍需生産調整委員会に雇用され、同社の労働者に向けたシリーズもののポスターづくりを依頼された。この報酬はフェデラル・ファンドから支払われた 。この企画の目的は、労働者の勤労意欲を向上させ、常習的な欠勤を減らし、働く上での疑問を経営者側に伝えさせることにあった。また不満やストライキの可能性を抑える効果も期待できた。ポスターは工場内で2週間掲載されるとこのシリーズの次のポスターと交換された。あるポスターには笑顔の男性経営者を写してこんなコピーがついた。「仕事に何か問題でも? …上司に相談しよう」。
多くの人がミラーの「We Can Do It!」のポスターには原図があると考えている。それがユナイテッド・プレス・インターナショナル(UPI)が撮影したミシガン州アナーバーの工場労働者ジェラルディーン・ホフのモノクロ写真である。時代的には1942年の始めごろでこのときホフは17歳だった〔。長の写真のなかでは、背が高くスレンダーなホフが頭にポルカ・ドットのバンダナを巻き、金属プレス機に背を預け、手を太もものに置き危なげなく機械を動かしていた〔。この広告用の写真を撮った直後にホフは工場を辞めている。前任者がプレス機で手を怪我したという話を聞いてチェロが演奏できなくなることを恐れたためである。その後別の工場にタイムキーパーの仕事を見つけたのだという。
もしミラーがこのUPI通信社の写真に強い影響を受けたのならば、ポスターは「再解釈」のもとで出来上がったということになる。「We Can Do It!」ではモデルの右手が拳をかためて持ち上げられ、左手は右腕の袖をまくっているからである。そしてホフの頭が見る側に向けられ、より筋肉質な体つきになった。ウェスティングハウス・エレクトリックの被雇用者が身につける身分証明のバッジもこのとき襟元に足されている〔。ホフはこれらの事実を全く知らなかった〔。そしてポスターの題材に使われているとは思いもしないまま、1943年に結婚してジェラルディーン・ドイルに名前が変わった〔。
はじめポスターはアメリカ中西部に点在するウェスティングハウスの工場のほかでは見ることができなかった。スケジュール上も1943年2月15日の月曜に始まる2週間(工場は週5日制であったため都合10日間)だけになっていた。そして可塑化したヘルメットのライナーをつくる工場が掲載の対象となった。このライナーにはウェスティングハウスが開発した、フェノール樹脂を主とするマイカルタが使用されていた。これらの工場では大半が女性の労働者が、戦争中に1300万個ものヘルメットを生産していた〔 Excerpted from:
〕 。「We Can Do It!」というスローガンを、工場の労働者たちは女性だけを啓発するものだとはおそらく考えなかった。経営者の権威、被雇用者の能力、社内の団結を称揚する一連のパターナリズム的、支配的なポスターの対象は全労働者であり、それゆえ彼らはこのポスター・イメージを皆が共に働く「Westinghouse Employees Can Do It」という意味に受けとったと考えられる〔。快活なイメージによって、勤労意欲の向上や生産性の維持などを目的としながらあくまで紳士的なポスターであった〔。鮮明な赤白青の衣装は愛国心をそれとなく呼び起こすが、こういった戦略は軍需生産委員会がよく採用したものの一つでもある〔〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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